バンコク在住もうすぐ10年のKenがお届けするブログ。
これまで「食」の進化、「日本人社会」の縮小、そして「不動産」に潜む富裕層の論理について記してきた。これら全てを俯瞰したとき、浮かび上がってくるのは、我々日本人が長年抱いてきた「経済大国」という幻想の完全なる終焉である。
1. 「デュシタニ」が突きつける格差の答え
京都に進出したタイの高級ホテル「デュシタニ」のニュースは、まさに現在の日本とタイの力関係を象徴している。タイの資本が日本の一等地に乗り込み、高級なサービスを現地で提供する。それを我々日本人は、物価の安い日本の地で「高嶺の花」としてありがたく消費している。
かつてはタイ人が憧れた日本のサービスが、今や「タイ資本の演出」の一部として買い取られているのだ。この逆転現象は、単なる一企業の成功譚ではない。日本という国が、かつての「発信地」から、多国籍資本が安く、美味しく、心地よく過ごすための「観光地(サービス提供地)」へと転落したことを示している。
2. 「安く買い叩かれる」未来の準備はできているか
我々日本人は、円安という現実に悲鳴を上げているが、これは世界から見れば「日本がかつてないほどお買い得になった」というサインに他ならない。タイの富裕層が本場の日本食を求め、日本の不動産を買い漁り、日本のサービスを「リーズナブル」と評して消費する。
これからの日本は、彼らにとっての「良質なリゾート」として機能し続けるだろう。しかしその代償として、かつて日本人が東南アジアで享受していた「経済的優位性」は二度と戻ってこない。我々が必死に働いて稼いだ給与を、彼らが休暇で使い果たす。そんな構図が、今後さらに鮮明になっていくはずだ。
3. バンコクで生きる我々にできること
では、この「東京都バンコ区」という箱庭を失い、かつてのような特権を剥奪された我々はどう生き残るべきか。
答えはシンプルである。「日本人だから」という幻想にすがるのをやめ、この街に暮らす「一人の異邦人」として、ローカルのルールに深く入り込むことだ。サムロンの屋台で現地の人々と肩を並べ、タイ人の富裕層が認める「本物の食」に触れ、タイの社会を支配する「富裕層の論理」を理解する。
日本人コミュニティの庇護から脱し、多国籍なプレイヤーが群雄割拠するこのバンコクという市場で、個の力でどうサバイブしていくか。それが、これからこの街に残る者たちに課せられた唯一の命題である。
箱庭の外へ
かつて日本人が守られたあの温かな聖域は、もう存在しない。しかし、聖域の外には、もっと広く、残酷で、それ以上に刺激的な世界が広がっている。
「東京都バンコ区」の時代は終わった。しかし、それを嘆く必要はない。我々は、この激動のバンコクという街で、真の意味での「異邦人」としての生活を、今ようやく開始したのだから。