20260403

エカマイの「居抜き」

 バンコクの街を歩いていると、ふと潮目が変わる瞬間がある。かつて日本人の声が響き、日本の香りが漂っていた場所が、いつの間にか、まるで「居抜き物件」のように隣国のアジア勢のコミュニティへと姿を変えているのだ。

その象徴的な光景が、

20260402

帰る日本人。帰らないのは?

 バンコクの湿った夜風に吹かれながら、IPAのグラスを傾けていると、ふと思い出す風景がある。四半世紀前、ニューヨーク郊外で過ごしたあの青い時間だ。(笑)まあでも、本当である。

最近のバンコク、特にプラカノンあたりを歩いていると、かつて日本人がいた場所に、じわじわと韓国や中国のコミュニティが「居抜き」のように

20260401

逆転タイ人—日本が「格安の観光地」

 バンコク在住もうすぐ10年のKenがお届けするブログ。

これまで「食」の進化、「日本人社会」の縮小、そして「不動産」に潜む富裕層の論理について記してきた。これら全てを俯瞰したとき、浮かび上がってくるのは、我々日本人が長年抱いてきた「経済大国」という幻想の完全なる終焉である。

1. 「デュシタニ」が突きつける格差の答え

京都に進出したタイの高級ホテル「デュシタニ」のニュースは、まさに現在の日本とタイの力関係を象徴している。タイの資本が日本の一等地に乗り込み、高級なサービスを現地で提供する。それを我々日本人は、物価の安い日本の地で「高嶺の花」としてありがたく消費している。

かつてはタイ人が憧れた日本のサービスが、今や「タイ資本の演出」の一部として買い取られているのだ。この逆転現象は、単なる一企業の成功譚ではない。日本という国が、かつての「発信地」から、多国籍資本が安く、美味しく、心地よく過ごすための「観光地(サービス提供地)」へと転落したことを示している。

2. 「安く買い叩かれる」未来の準備はできているか

我々日本人は、円安という現実に悲鳴を上げているが、これは世界から見れば「日本がかつてないほどお買い得になった」というサインに他ならない。タイの富裕層が本場の日本食を求め、日本の不動産を買い漁り、日本のサービスを「リーズナブル」と評して消費する。

これからの日本は、彼らにとっての「良質なリゾート」として機能し続けるだろう。しかしその代償として、かつて日本人が東南アジアで享受していた「経済的優位性」は二度と戻ってこない。我々が必死に働いて稼いだ給与を、彼らが休暇で使い果たす。そんな構図が、今後さらに鮮明になっていくはずだ。

3. バンコクで生きる我々にできること


では、この「東京都バンコ区」という箱庭を失い、かつてのような特権を剥奪された我々はどう生き残るべきか。

答えはシンプルである。「日本人だから」という幻想にすがるのをやめ、この街に暮らす「一人の異邦人」として、ローカルのルールに深く入り込むことだ。サムロンの屋台で現地の人々と肩を並べ、タイ人の富裕層が認める「本物の食」に触れ、タイの社会を支配する「富裕層の論理」を理解する。

日本人コミュニティの庇護から脱し、多国籍なプレイヤーが群雄割拠するこのバンコクという市場で、個の力でどうサバイブしていくか。それが、これからこの街に残る者たちに課せられた唯一の命題である。

箱庭の外へ

かつて日本人が守られたあの温かな聖域は、もう存在しない。しかし、聖域の外には、もっと広く、残酷で、それ以上に刺激的な世界が広がっている。

「東京都バンコ区」の時代は終わった。しかし、それを嘆く必要はない。我々は、この激動のバンコクという街で、真の意味での「異邦人」としての生活を、今ようやく開始したのだから。

20260331

空室という名の「金庫」— なぜバンコクの家賃は下がらないのか

 バンコクに暮らし始めて、もうすぐ10年になるKenがお届けするブログ

前回の「人口シフト」に続き、今回はバンコクの不動産市場という「歪んだ聖域」について記したい。日本人駐在員が去り、空室が目立つプロンポンやトンロー。市場原理に従えば家賃は暴落するはずだが、現実はそう甘くない。そこには、日本企業の凋落と、タイ富裕層の底知れぬ論理が交差している。

1. 崩壊した「不当な高値」の支え手

かつてこのエリアの家賃相場を支えていたのは、日本企業の「潤沢な住宅手当」という名のバブルであった。実勢価格を無視した強気の家賃設定も、会社の経費で落ちるとなれば、誰も疑問を呈さなかった。

しかし、長引く日本の不景気に、記録的な円安バーツ高が追い打ちをかける。コストカットの荒波に晒された日本企業には、もはやこの「不当な高値」を支え続ける体力は残されていない。家族帯同から単身への切り替え、あるいは住宅手当の抜本的な見直しにより、かつての主役であった日本人家族は、住み慣れた「聖域」を追われ、日本への帰国を余儀なくされているのである。

2. 資産は「収益」ではなく「貯蔵」である

普通に考えれば、店子が去れば家賃を下げてでも埋めようとするのが経済の常石だ。だが、タイの本当の富裕層にそのロジックは通用しない。彼らにとっての一等地コンドミニアムは、家賃を稼ぐための「商品」ではなく、インフレから資産を守るための「金庫」に近い。

キャッシュで複数ユニットを保有する彼らにとって、数ヶ月、いや数年の空室など誤差に過ぎない。むしろ、中途半端な客を入れて内装を傷められるくらいなら、家賃を下げて物件の格(ランク)を落とすことの方が、彼らの「面子」に関わる死活問題なのである。

3. 日本人の感覚では計り知れない「オーナーの論理」

日本人の感覚からすれば「空室=損失」だが、タイのオーナーたちの頭の中はもっと冷徹で、かつ壮大だ。 「家賃を下げてまで、自腹で住む欧米人や日本人の機嫌を伺う必要がどこにある?」 彼らの視線は、もはや困窮する日本人など見ていない。

都心の物件を空室のまま寝かせておく一方で、彼らはその資産価値を担保に、地方の土地に新たなムーバーン(分譲住宅)や低層コンドミニアムを建設する。未利用地への課税を逃れるための節税対策として、あるいはさらなる資産防衛の一環として。彼らにとって不動産は、我々の想像を絶する巨大な「節税スキーム」の駒の一つにすぎないのである。

4. 箱庭の崩壊と、異邦人としての目覚め

私たちが住んでいたあの街は、結局のところ、日本企業の住宅手当バブルが生み出した、極めて特殊で歪な「箱庭」であった。その魔法が解けた今、残されたのは「日本人の手が届かなくなった高級物件」と、それを平然と放置する「タイ人オーナー」の構図である。

不動産という鏡を通して見えてくるのは、かつての経済大国として振る舞っていた日本企業の凋落と、それを冷ややかに見つめるタイ富裕層のしたたかな計算だ。我々はこの現実を直視し、特権を失った一人の「異邦人」として、この街の新しいルールに適応していかねばならない。

20260330

絶滅するファミリー駐在、サムロンの屋台へ消える若き日本人

 バンコク在住もうすぐ10年のKenがお届けするブログ

前回の「食」に続き、今回はバンコクの「居住地図」と「人口動態」の地殻変動について記したい。かつて日本人が集ったスクンビットの聖域は今、物理的にも構造的にも、その姿を大きく変えようとしている。

1. 「ファミリー駐在」という種の絶滅と、ASEANの再編

かつて、プロンポンやトンローの街角には、日本人家族の姿が溢れていた。もちろん、今でも、その面影はあるが。しかし今、

20260329

さらば「東京都バンコ区」— タイ人富裕層が塗り替える、日本食の真価

バンコクに暮らし始めて、もうすぐ10年になるKenがお届けするブログ。

バンコクの中心のオフィスで仕事をした日々。日本人コミュニティでも、夜な夜な遊んだ日々。バンコクの裏側を見つめ、バンコクの街を歩き続けてきた。この10年で、この街の風景は劇的に変わった。かつて「東京都バンコ区」と呼ばれた、日本人が日本人のために作った聖域は今、

20260304

周期リバイバル、レトロ回帰のバンコク

なんだか知らないけど、最近、バンコクの街中でよくモンチッチを見かける。まあ、モンチッチはいかにもタイ人が好きそうな、ゆるっとしたキャラだと思う。
ただまあ、葛飾出身の筆者は、モンチッチをよく知っている。子供心に、地元のおもちゃメーカーの製品だと、認識していた。テレビCMで、モンチッチはセキグチとかいうフレーズが出るたびに、うちの近くの会社だ、と、思ったりしていた。葛飾は他にも、おもちゃメーカーが多かった。例えば、タカラとかトミーとか。

で、その昔のものが流行ること自体、レトロ回帰とか、周期的なリバイバルと言えるらしい。その意味で言えば、多分、1970年台のキャラクターデザインは、タイで流行りそうなポテンシャルを持っていると思う。

周期リバイバルを仕掛けることもできるかもしれない。

勝手な思いつきだけど、ロボコンとか、良いと思った。なんとなく、ゆるっとしたフォルムの子供のロボットで、タイ人には多分受けると思う。友達キャラの、ロボパーとか、ロボガキ、ロボワルとかもいい味出しているかもしれないけど、現代では名前が不適切かもしれない。コンプラ的に。

まあ、ロボコンは絶対にタイで流行らせることはできるかもしれない。背景だの、ストーリーだのはなんだかよく分からなくても、あのゆるっとしたフォルムだけで、多分、タイで流行る。

ロボコン会計者の方々、チャンスではないだろうか。とか、勝手な妄想をする。

妄想は自由。
アメージングタイランド。