20260330

絶滅するファミリー駐在、サムロンの屋台へ消える若き日本人

 バンコク在住もうすぐ10年のKenがお届けするブログ

前回の「食」に続き、今回はバンコクの「居住地図」と「人口動態」の地殻変動について記したい。かつて日本人が集ったスクンビットの聖域は今、物理的にも構造的にも、その姿を大きく変えようとしている。

1. 「ファミリー駐在」という種の絶滅と、ASEANの再編

かつて、プロンポンやトンローの街角には、日本人家族の姿が溢れていた。もちろん、今でも、その面影はあるが。しかし今、その光景は急速に失われつつある。バーツ高とコストカットの波に抗えず、日本企業は次々とファミリー駐在から「単身駐在」へのシフト、あるいは拠点の縮小を決断しているからだ。

製造拠点はベトナムやカンボジアへ移り、駐在員自身もインドや他国へとスライド、あるいは本帰国していく。もはやバンコクは「家族を連れて優雅に暮らす拠点」ではなくなった。住宅手当や教育手当の廃止は、企業がASEANそのものからの撤退、あるいは「維持」から「縮小」へ舵を切った明確なサインである。

2. 「東進」する単身者と、変わりゆくバイブス

中心地を追われた日本人は、決して西(サイアム側)には流れない。西には、大学都市やムーバーンなどなどのバイブがあり、ちょっと日本人駐在とは違うのだ。

彼らが向かうのは、ラヨーンやシラチャ、パタヤの倉庫や工業地帯へのアクセスも良好なウドムスックのその先だ。

家賃1万バーツ以下。それでもプールやジムが完備されたコンドミニアムで、彼らは「アーバンライフ」を再定義している。かつての「聖域」のような日本人同士の濃密な付き合いはなく、多国籍な住民の中に溶け込む、孤独で、しかし自由な生活がそこにはある。

3. 「駐妻ランチ」の絶滅と、スナックの復権

アソーク界隈で華やかに開催されていた「駐妻ランチ会」は今や絶滅の危機に瀕している。人口動態の変化は、夜の街の景色も変えた。代わりに復権を遂げているのは、トンローやプロンポンに点在する、おひとり様用のスナックやバーだ。

単身化した日本人男性たちは、平日の夜はこうした止まり木を求め、休日ともなれば郊外の市場周辺のカフェや屋台に出没する。かつてのように「日本人村」の中で完結する生活ではなく、現地の喧騒の中に身を投じることでしか、彼らの居場所は見出せなくなっている。

4. 彷徨う野良猫と、塗り替えられる「個室」

かつて、大型コンドミニアムの遊び場には、日本人学校へ通う子供たちの歓声が響き渡っていた。しかし今、その遊具の傍らで寂しく彷徨っているのは、主を失った野良猫たちだ。

週末になれば、日系レストランの個室は日本人ファミリーで溢れかえっていたものだが、今やそこを占拠しているのは、親日タイ人富裕層や、韓国人や中国人のグループである。メニューの端に書かれた日本語だけが、かつてここが「日本の租界」であったことを静かに物語っている。

5. サムロンの屋台で生きる「若き現地採用」の肖像

さらに東、かつてはBTSの終着駅だったサムロン。今ではさらに延伸しているが、で、そのサムロン、そこには、30代半ばから後半に差し掛かった若き現地採用たちがいる。タイの物価上昇と円安のダブルパンチを受け、タイ人労働者に混じってカオマンガイを啜る彼らの姿は、もはや「成功した海外生活」のイメージとは程遠い。

彼らの給与水準は6万バーツから、まあたぶん、10万バーツ前後だろうか。これは、日本人の若い世代で言えば、十分ではある。だが、駐在の手当などは無いので、もはやこの街で家族を持つという選択肢は存在しないだろう。野心を持って海を渡ったはずの彼らが、静かに、しかし確実に帰国の準備を進めている。これが「東京都バンコ区」の底辺を支えていた層の、リアルな末路である。

終焉の先にある「冷徹な現実」

「東京都バンコ区」の時代は、終わった。 空室を抱えても絶対に家賃を下げないオーナーの思惑と、企業の冷徹なコストカットの間で、日本人の居場所は削り取られ続けている。日本人はこの現実を直視し、一人の「異邦人」としてこの街でどう生き残るかを、根本から考え直さねばならない。