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2022年3月20日

【小説】英語世界の埋没1

突然、世界が日本語に

「アクセントがまだ少しおかしいですから、それを早く修正してくださいね。では今日のクラスはこれで終わりにします。」

プライベートのレッスンが終了して、ちょうどお昼の時間になった。ジョージ・フレッチャーは、些か不貞腐れながら、日本語クラスを後にした。日本語しかできないくせに威張り散らしている日本語教師がとにかく気に入らなかった。一歩外に出ると、マンハッタンの強い陽射しに一瞬目を瞑った。

ランチタイムであるしお腹は空いている。いつもの場所に向かうと、いつもの様に、デイビッド・タカハシが独り、どっしりという雰囲気で、狭いベーグルショップのカラフルなベンチに腰掛けながらロックスサンドを頬張っているのが見えた。ジョージはデイビッドの方にトボトボと歩み寄って行った。

例年になく雪の多かったニューヨーク、アメリカ東部も、春の気配が日に日に増してきていた。ビルとビルの間の隙間に溶け残った雪が、ビル間から大通りに吹き抜ける、マンハッタン独特のビル風を冷やしていた。

「ヘーイ!」と声をかけながら、ジョージはデイビッドに軽く肘でタッチすると、先に食べ始めているデイビッドを横目に、メニューが目に飛び込んできた。いつもの店なので、メニューはほぼ知ってはいるが、日本語がぎっしりのメニューに今初めて気づいた。

「おいおい、日本語メニューしか置かなくなったのか?この店は。」

口の中に入ったロックスサンドを少し急ぎめでもぐもぐして、飲み込みながら、デビッドは口を手で押さえながら、徐に答えようとした。

「あのね、もう、トレンドが日本語なんだよね…。NYもLAも、日本語のメニューしか置かなくなったみたいだよ。」

尚ももぐもぐしながら、そのうちに全米でレストランのメニューは日本語だけになるかもしれないというような、恐ろしい予想をデイビッドが誇らしげに言ったのが聞こえた。

日本語が主流になったのは、この3年くらいの出来事である。グローバルのマーケットにおいて、日本企業が、売上高上位を100位まで独占した結果、日本はついに英語でのミーティングを全て日本語に切り替えた。

なぜなら、英語人材不足による理由である。それまでの英語中心の世界では、日本企業もグローバルではとにかく英語力のある人材を獲得することが必須事項になっていた。もちろん、英語が得意な人材は結構居るが、まだまだ苦手とする人口の方が圧倒的に多いことは事実である。

特にソフトウェアやハードウェア、ネットワークのエンジニアにとっては、英語力を必要以上に求めて、スキルのある人材を見落とすことは、企業としてマイナスであることを誰かが提唱してきた。

そもそも、日本企業が世界のビジネスのほとんどを供給しているこの状況を考えれば、日本人が敢えて英語を勉強する必要もなく、むしろ、海外で日本企業と取引をしたい国の人に日本語を身につけてもらった方が、ビジネスの加速が数倍も早いことに、日本国は気づいたのだ。

我々が英語を習得しなくても、我々の製品やサービスを欲している人が、日本語を勉強すれば良いのだ。時の政府は、戦後史に残るような大胆な決定を下した。

  • ビジネスの世界で、日本語をそのまま使う。日本企業と取引したい人には日本語でのコミュニケーションを求める。
  • 義務教育過程において、英語科目を撤廃する。

この決定で何が起こったかといえば、当初反発も示していた欧米をはじめとする外資系企業も、結局は、日本企業とのやりとりが必須であるが故に、日本語での対応を検討し始めた。世界の企業人は、日本語を勉強し始めたのである。

全米、いや、世界での日本語熱は高まるばかりである。ニューヨークやロスアンゼルスのレストランでは、とうとう英語メニューを撤廃する動きも出てきている。それがそれがトレンドに載るということなのだ。

「もうねえ。日本語は避けて通れないからさ。」
デイビッドが不貞腐れているジョージに話しかけた。

「気持ちはわかるけど、ちょっと踏ん張った方が良いよね。今、日本語の勉強を踏ん張らないと、5年後10年後の給与にかなり響くぜ。」
不貞腐れているジョージを不憫に思い、デイビッドはそれでも優しく諭すように、ジョージに言った。

確かに、アメリカ人にとって、いや、世界中の国の人にとって、日本語の習得は難しい。

しかしながら、日本国、そして日本企業が一斉に基本言語を英語から日本語にシフトしてしまったために、アメリカ含め海外の人々はビジネスをするためには日本語がどうしても必要な状況になったのだった。

グローバルのビジネスは、日本企業との関係構築をしなければ、何も進まない。

アメリカの過激な大統領候補は、日本は敗戦の腹いせを経済で復習しようとしていると言い、日本に対してネガティブキャンペーンを張っていた。

「今行ってる日本語会話、ダメだね。なんか、ビジネスライクだから。」
ジョージは、今習っている日本人の日本語教師がとにかく好きではなかったのだ。そんなに嫌なら、金出してまで行く必要はないと、自分でもわかっていた。が、とにかく勉強しなければならないことには変わりなく、いちいち教師を変えるのもなんとなく面倒だった。

「もっと可愛い、セクシーな日本人の日本語教師、紹介するよ。やる気出るだろ。」
デイビッドは、友人の日本語教師、ヨリコ・ワタナベのフォトをジョージに見せながら、さらに続けた。

「まあとにかく、彼女もアメリカ育ち。英語もできるし、日本語教育法ではマスター持ってるから。それに、もう、この写真見れば、説明いらないだろ。」


◇  ◇  ◇  ◇  ◇   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

日本語反対!!

日本企業が、日本語に舵を切り始めたのは5年前。その前は、日本の義務教育では英語が必須だったが、もう今は撤廃されている。

グローバルの売上の100位までを独占している日本企業が、一斉に日本語に舵を切った途端、日本人は英語を勉強する必要がなくなったからである。日本政府が、英語の必修を撤廃したのは、3年前のことである。

「何しろ、世の中の言語がみんな日本語に変わりつつあるからな。英語勉強したって、せいぜい、英語圏のおねいちゃんとデートできるくらいしかメリット無いよね、今となっては。」

ランチの帰り道も、ジョージの脳裏には、デイビッドから言われたことがリフレインしていた。ふと、ジョージはヨリコ・ワタナベのWhatsAppをタップした。

それにしても、日英バイリンガルのデイビッドはとにかく楽しそうである。そして給与も上がった。特に日本語を話す時点で、相当数の機会が増えたのだ。

今となっては、バイリンガルである必要もあまりない。日本語さえできれば、それで良いのだ。英語が話せることに関しては、特段、良いこともなかった。

言語学が好きで、英語に興味のある人は、英語を勉強するだろうが、全ての人が英語に取り憑かれる必要は、もうないのだ。

時代は変わったものである。

アメリカもヨーロッパも、アジア圏も、ビジネスでは全て日本語が、今となっては常識である。フィリピンやネパールでは、公用語を日本語に変えることがすでに決定し、来年から施行されることになっている。


ロックフェラーセンターの前を通りかかると、夥しい人々の群れがけたたましく叫んでいた。よくあるデモ行進だろうと、ジョージは思ったが、少し毛色が違う。

「日本語、反対!」

「言語差別 反対!」

叫んでいるのは、日本語でのビジネスに反対する団体であった。彼らの主張は、ビジネスで日本語を使うことは、言語による差別にあたるというものだった。

へー。言語差別ねえ。

よく見ると、彼らは国際司法裁判所に、提訴しているらしい。
「みんな、よくそんな暇あるよな。そんな暇あったら、日本語勉強しちまった方がよくねえか?」

と、心の中で呟きながら、5番街を南へと歩いて行った。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「うるせえなバカやろー!!」

ジョージは、道を聞いてきた日本人に言い返した。その日本人は、日本語でジョージに話しかけて、道を聞いたのだ。

そもそも道を聞かれるときに日本語を使われることは、アメリカではよくあることだった。英語ができない日本人がとにかくたくさんアメリカに居て、日本語だけで生活をしている。さらに、アメリカそのものが、日本語がすでにトレンドになっていて、教養のある人なら簡単な日本語の会話もできるという状況になっていたので、日本語で突然話しかけられるというのは普通のことだった。

ジョージは、なぜ、その日本人に対して怒鳴り散らしたのかは、わからない。普段なら、そんなことはしないのだ。

日本人は、オロオロして、その場から逃げていった。

花粉症に。日本では「アレグラ」です。