2022年3月18日

日本人だけが全く違う理由

最近そういう人もだいぶ減ったとは思うけど、それでもなお、日本人の多くは無意識に所属している企業に自己のアイデンティティを求めている。

確かにだいぶ減ってはきた。ただ、まだまだマジョリティといえば、所属企業あっての自分ということろをどこかしら持っているのだ。

例えば、アメリカにいた時に、出会ったアメリカ人が自分のことを人に紹介するときに、「2人の子供の父親であり、夫であり、根っからのニューヨーカーで、ジャズを愛している。メッツファン。」などなどと説明する人が多かった。

しかしながら多分日本人はもし自分のことを紹介する時に、「夫である」とか、「父親である」とか言うだろうか? まあ、言わない。

その代わりに、なんと言うかといえば、「東芝の鈴木です」とか、「伊藤忠の高橋です。」とか、そう言う会社名を冠につけたりすることが多いと思う。

良いとか悪いとかではなく、事実である。自分の存在に、努めている会社というのが大きく関わっている。これが日本人なのである。

日本人がそういう人々であるということを前提にすると、海外にいる日本人がほぼほぼ遅かれ早かれ全員が日本に帰る民族であるということが納得できる。

なぜなら所属企業の駐在で海外に来ているからである。もちろん、タイはそれでも自分の意志できて、現地採用によって働いているという人も多いは多い。ただ、もうマジョリティは駐在である。駐在ということは、いずれ海外勤務は解けて、日本に帰るということになるのだ。だから、海外にいる日本人は会社単位で動く。友人関係も、会社単位。

アメリカにいた時も、タイにいる今も、出会う日本人はみんな日本ありきだ。

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1外国から来たその他大勢の人になれない日本人

その点、例えば、日本以外の海外から来ている人は、日本人とは全く違う。それぞれ理由があって来ているのだけど、会社が行けと言ったから来ているなんていう人にはお目にかかったことがない。

日本もアメリカから見れば、1つの海外の国である。アメリカにはもちろん、いろいろな国から来た人が集まっている。ただ、日本人以外は、みんなアメリカに永住しようと思って来ている。永住まで考えていなくても、たまたま好きで、自分の意思で好き好んで来ているのだ。

例えばアメリカに居た時に、周りの韓国人がそうだった。会社が行けと言ったから来た、なんていう韓国人は、アメリカにはほぼ居なかった。

では、みんなどうしていたかといえば、例えば、アカデミアで職を探したり。大学の先生をやっていたり。キムチ工場を経営している人もいた。ネイルサロンはすごく巨大な組織で、随所で韓国人が働いていた。

とにかく、アメリカにた時の周囲の韓国人は、自分自身の選択としてアメリカに来て、そしてアメリカで死ぬまで生きていくという覚悟がある。覚悟というか、ただ韓国に帰りたくないだけなのか、それはわからないけど、とにかく、日本人がアメリカに来ている理由と全然違うのである。

それは韓国人だけではなくて、他の国からアメリカに来ている人は、だいたい自分の意志で勝手に来て、どうにかしてアメリカで生きていきたい、、という人がほとんどだった。日本人だけは、だいたい3年か5年くらい経つと日本に帰国するのだ。ほぼ全員が。


まず日本人であること。次に会社名。自分のことはそれが全て

逆にいえば、日本にいる外国人も、自分の意志で勝手に日本に来て、好きで日本で暮らしているのだと思う。

例えば、日本に居るアメリカ人が、「会社の転勤で日本に来た」という人なんて、居ない。少なくとも僕の周りにはいなかった。

もちろん、全くゼロではなかったけど。例えば、企業のエキスパットみたいな人は、会社から送られて来て日本に居ただろうけど、ごく少数である。

実際、もう15年くらい前の話だけど、日本で某医療機器フォーチュンNo.1の日本法人社長がアメリカから赴任してきて、色々と交流したけど、しかもその奥さんが僕と同じ会社に採用されたりして、それは面白かったけど、もちろん2人はアメリカに帰って行った。少数派の1例である。そんな人も、居なくはないけど、ほとんどの人が、自分の意志で海外にいるのだ。

日本人だけが、会社の事例で海外にいる人が多いのだ。最近は日本人でも自分の意志で海外にいる人が多くなったとは言え、それでも会社がありきなのだ。

人生、会社ありきなのだ。例えば、辞令で帰国しなければならなくなったとしても、別に残りたければ、その会社を辞めて、アメリカに残れば良い。

という、理屈になるけど、それをする日本人はほぼほぼ居ない。日本人は、海外で、日本人ということを全面に出しながら生活する。1外国人という立ち位置ではなくて、もう、「日本人」ということをまず冠につけたがる。

日本人ということをまず冠につけることによって、自分自身の個性をそこまで出さなくてもよくなるとでも思っているのだろうか?

語るほどの、見せるほどの個性もないから、その代わりに「日本人」と言っておけば、とりあえずその場は凌げるみたいな考えがきっと蔓延っているのだろう。

まず、日本人。

次に、会社。

このアインデンティティが日本人のマジョリティである。

会社ありきでただ海外に来ているだけである状態の日本人ほど、結構言うことだけは立派だったりするから、面白い。

ただ単に会社の駐在で送られて来ただけなのに、まるで自ら開拓してその地に移り住んだのだ!みたいな武勇伝にトランスフォームしちゃうアホが多すぎて、笑える。

実際は、会社が斡旋した家に住んで、会社が雇ったドライバーがいて車があって、東南アジアならメイドさんもいたりして、子供の学校の費用は会社持ち。。。のような状態であるのだ。

他の国から買って来ている人、あるいは同じ日本人でも、自分で勝手に来ている人とは全然違うのである。

ただ、1つの会社で、1つの海外の国に何十人も送るみたいなのは、多分日本だけかもしれない。中小企業では、例えば1人駐在なんかもあるけど。そろそろ、そういうなんというか、海外駐在みたいなのは昭和の香りがぷんぷんする文化なのでやめた方が良いのではないだろうか。1人駐在員がいれば、あとは現地の人を採用すべきだと思う。

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