2020年10月30日

10月30日は「初恋の日」です。藤村の「初恋」について語りました。


 

初 恋


島崎藤村


まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり



やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり



わがこゝろなきためいきの

その髪の毛にかゝるとき

たのしき恋の盃を

君が情に酌みしかな



林檎畑の樹の下に

おのづからなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ



10月30日は「初恋の日」だそうです。これは島崎藤村の詩、「初恋」にちなんでおります。

島崎藤村ってだれ?

という方は、こちらをご覧ください。

島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5年2月17日〉 - 1943年〈昭和18年〉8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。


『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。


島崎藤村 - Wikipedia


それは良いのですが、なぜ今日が初恋の日かというと、こちらです。

島崎藤村ゆかりの宿である長野県小諸市の中棚荘が制定。1896(明治29)年のこの日、島崎藤村が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として初恋の詩を発表した。毎年、初恋をテーマとした「初恋はがき大賞」等のイベントを行っている。

中棚荘 https://nakadanasou.com/


藤村の「初恋」は詩集、『若菜集』に載っているのです。若菜集とは、

『若菜集』(わかなしゅう)は、島崎藤村の処女詩集。1897年に春陽堂から刊行。明治時代に作られた。七五調を基調とし、冒頭に置かれた「六人の処女」(「おえふ」「おきぬ」など)のほか51編を収録。「秋風の歌」や「初恋」が特に名高い。日本におけるロマン主義文学の代表的な詩集である。  wikipedia


そう。この詩は、明治時代に作られた詩なのです。文芸思潮的には、ロマン主義的文学です。まあ、まさにロマンですよね。ロマン主義とは、という人は、こちらをご覧ください。

日本では〈浪漫主義〉の字をあて,明治20年代に森鴎外の評論活動や北村透谷,島崎藤村らの《文学界》の運動として現れた。同30年代には与謝野鉄幹,与謝野晶子らの《明星》を中心とする浪漫主義詩歌が全盛をきわめ,薄田泣菫,蒲原有明や評論では高山樗牛が活躍した。自然主義勃興後は《スバル》《三田文学》を中心とする耽美(たんび)的な文学運動へと継承された。   ーーコトバンク


さて、では、「初恋」を自分なりに細かく見てみます!

続きをご覧ください ↓↓


ではここで、藤村の「初恋」をみていきたいです。

まず、七五調です。

第一連

まだあげ初めし前髪の
(まだあげそめしまえがみの)

林檎のもとに見えしとき
(りんごのもとにみえしとき)

前にさしたる花櫛の
(まえにさしたるはなぐしの)

花ある君と思ひけり 
(はなあるきみとおもいけり)

ここでは、恋の始まりをうたっております。あげ初めし前髪というのは、少女が大人の髪型にするというか、したばかりということをさしていますよね。また、この林檎というのが、少女と呼応した表現かと思います。林檎のフルーティで、甘酸っぱい出会いという感じがしませんか? 林檎の花、そしてこれから実るということを連想させます、果実も、もちろん恋もです。初恋の甘酸っぱい雰囲気が存分に出ております。この詩は4連からなりますので、起承転結がわかります。もちろん、第一連は「起」です。


第二連

やさしく白き手をのべて
(やさしくしろきてをのべて)

林檎をわれにあたへしは
(りんごをわれにあたえしは)

薄紅の秋の実に
(うすくれないのあきのみに)

人こひ初めしはじめなり
(ひとこいそめしはじめなり)

第二連は、恋の成就です。そう、初恋が成就するのです。両思いです。すごいですよね。村下孝蔵は、「好きだよ」とさえ言えなかったのに、藤村は初恋が成就してしまいます。ただ、ここでは、「やさしくしろき手をのべて」のまえに、恋の告白はあったのかと思います。ドキドキしながらも、告白して、それが実ったからこそ、しろき手が「やさしく」なのではないでしょうか。勇気を出して告白したら、やさしく答えてくれた。林檎を渡してくれたというのが、恋が成就したということに他なりません。恋の成就によって、本格的にこれから恋愛に進んでいくのです。起承転結で言いますと、「承」になります。


第三連

わがこゝろなきためいきの
(わがこころなきためいきの)

その髪の毛にかゝるとき
(そのかみのけにかかるとき)

たのしき恋の盃を
(たのしきこいのさかずきを)

君が情に酌みしかな
(きみがなさけにくみしかな)

藤村の「初恋」では、この第三連が一番解釈が割れるというか、結構議論があったりする部分です。第一連、第二連では、初恋が実るみたいな感じで、甘酸っぱい林檎のような感じなのですが、第三連では、いきなり「ためいき」が出てきます。つまり、恋の苦しみです。甘酸っぱいことだけで、恋は済まないという、大人の事情がこの第三連で出てくるのです。こころなき溜め息が、髪の毛にかかるのです。それだけ接近しているという意味です。暗に、耽美的です。その髪の毛の「その」とは、もしかしたら第一連で「上げ初めし前髪」と出てきますので、それに呼応しているのでしょうか。その初々しい前髪に、今は恋の溜め息がかかっているのです。これは事件です。第3行で、酒を使った表現、つまり盃ですよね。この酒を連想させる表現で、一気に少女との初恋が、大人の恋愛という雰囲気を醸し出すことができております。ただし、実際に酒を飲んでいるわけではなく、これは例えです。つまり、この表現は、「恋に陶酔」しているということを言いたいのかと思います。なんとなく、悲しげな響のあるような練なのですが、そうではなくて、成就した恋愛をさらに謳歌しているということかもしれません。「情けに酌みしかな」というのは、盃という表現をしているので、酌むという、酒にまつわる表現をしています。恋愛への陶酔ですよね。起承転結で言えば、「転」ですね。


第四連

林檎畑の樹の下に
(りんごばたけのこのしたに)

おのづからなる細道は
(自ずからなるほそみちは)

誰が踏みそめしかたみぞと
(たがふみそめしかたみぞと)

問ひたまふこそこひしけれ
(といたもうこそこいしけれ)

第四連はもちろん締めくくりです。起承転結の結ですよね。初々しい恋が→実って→さらに恋を謳歌して、で、どうなった? という部分です。

林檎畑に、おのづからなる細道ができたというのは、そこに何度も何度も通って、道ができたという例えです。それだけ、確かな恋だということだと思います。わざわざ「細道」という風に、細いと表現するのは、それなりに一途に、という意味と取れなくもないです。一途な恋ということです。つまり第三連で少し波乱があったのかもしれませんが、結局今となっては確固たる恋だ。ということを言っているような気がします。

3行目と4行目ですけど、「誰が踏みそめしかたみぞと」と、問うているということは、その道が初恋が成就したことによってできた道であることを解りきっていて、敢えて問うてるという意味にとれて、なんとなくですが、少しだけ悪戯っぽく感じることもできます。つまり、そんな余裕まで生まれているということの表現ととっても良いのかもしれません。それだけしっかりとした恋であるということです。成就して謳歌した恋が、確かな道になったということで、起承転結でいう、結です。


『若菜集』の「初恋」について、色々と語ってきました。秋も深いですし、文学に触れるのも良いですよね。『若菜集』は、何と、青空文庫ですべて読めます。実は他にも紹介したい詩もあります。これを機会に、青空文庫を読んでみたいと思います。



 

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