2021年11月30日

タイで大事な何かを忘れちまった

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タイに5年もいると、良い意味で、そして悪い意味でも、だいぶ影響されてしまいます。

良い意味では、細かいことが気にならなくなりました。

そう、ストレスが減りました。

タイ独特のストレスはありますが、たとえばインフラの問題とか、探しているものが無いとか、言葉の問題とか。。でもそれは、日本で働いていた時のストレスに比べれば、微々たるものであると気付かされます。

無理なことは無理。

不味いものは不味いし、旨いものは旨いのです。

無理なことが無理でも、悪いと思わなくなりました。

できないことができなくても、全くストレスがなくなりました。


次に、悪い意味での影響といえば、

そうですね、

少し、自分勝手になったような、気がするかもしれません。

他人に対して、ある特定の人に対して傍若無人になったわけではありません。そこは日本人として、他の人をまず考えて、節度を保っております。

ただ、間接的にはどうかといえば、だいぶその感覚は無くなりました。

間接的とは、

たとえば、ゴミの問題とか、いわゆる、エコロジーの感覚です。

ゴミの分別などは、その最たるものです。

日本では、川崎市のマンションに住んでいました。そのマンションは、本当にゴミの分別が厳しくて、燃える燃えないだけではなく、資源、ミックスペーパーなどに分かれていて、なおかつ曜日も決まっていて、その曜日以外には、その種類のゴミを出せないのです。すごく厳しくて、監視カメラもついています。生ゴミを出すのを忘れると、2日間くらい出せません。

ペットボトルは、ラベルを剥がして、キャップは専用のゴミ箱へ、そして中を濯いでから潰して捨てて、専用のゴミ箱に捨てなければなりません。

空き缶は、アルミとスチールに分かれていて、空き瓶も色で分かれていたほどです。

まあ、日本のことなんで、そんなの、珍しく無いと思えばそれまでですが。


これらのエコに関する感覚は、タイに来て5年で、全く拭い去られました。それはある意味残念なことではありますが、それがタイです。

ゴミなんて、適当です。

流石に、ポイ捨てはしませんが、分別なんて本当に苦手になりました。

街のストリートの屋台のおばちゃんが、洗ったお鍋とかの汚水を道路脇の側溝にそのまま流して捨てる光景は、バンコクでは日常茶飯事です。

タイに最初に来た頃は、汚い話ですが、屋台などでの汚水を道路に直接流して捨てているのを目の当たりにした時、絶叫したいくらいに驚いたのを覚えています。

「うわー、きったねー!!」

と、心の中で何度も絶叫しました。

それが今では、その屋台で、汁物のヌードルとかを食べていますから、本当に変わったと思います。


スタバでも、自分の飲んだカップを片付けなくなりました。これは、面倒なわけではなくて、タイ人は誰も片付けたりしないので、タイではそう言うことになっているのか、、と思った次第で、いつの日かそれに慣れてしまいました。

て言うよりも、そもそもスタバが高くて、あまり行かなくなりましたけど。。

ウチでは、日本人向けのネットテレビというのに加入していて、インターネットで日本のテレビを見ています。

先日、ガイアの夜明けを見たのですが、そこで驚愕したことがあります。

"100円ショップ"新時代

~いま 求められるモノとは?~


を見たのですが、とても驚きました。100円ショップのダイソーが手がける新しいコンセプトの店舗で、日本の間伐材を使った製品を展開しているとのことです。その間伐材の戦略が、まず消費者に間伐材とは何か?というところからインプットして、なおかつ間伐材を使った製品を消費するということは、環境に貢献しているということを知った消費者が、製品を購入するというものでした。

あま肌リッチモイスト美容液

環境に配慮した製品が日本では売れるらしいけど、どんだけ民度が高いんだ!!と思います。

タイに5年住んで、人々の購買動機に環境に優しいということが含まれている可能性は、多分ゼロです。いや、タイとか東南アジアだけでなく、多分、先進国でもそんな感情を抱きながら消費活動をする国民は多分日本人だけかと思います。

自分も日本人なんで、日本の豊かな自然は大好きです。ただ、東南アジアに5年住んで、環境に配慮したいということを購買動機にするなんて、そんな感覚、いかにその感覚が素晴らしいもので、むしろ先進国の中でも日本だけということを感じずにはいられません。


自分の感覚も麻痺してきました。

屋台では、汚れた水を、道路のマンホールの側溝に流します。

公園のショップにある軽食レストランでは、食べ残しを公園の池に捨てます

最初は、「うわ」っと思いました。

客の残飯を店のスタッフが、しかも市民の憩いの場の公園の池に捨てる事自体、むしろ犯罪に近いような感覚でした、当初目撃した時は。

それが5年も経つと、「この国はこんなもんだ」みたいな感覚の連続で、いつしか慣れてしまいました。

もちろん、流石に自分自身では、そんな真似はできません。ただ、この国の赤の他人がやっているのを見るときに、もう驚きは無くなりました。


サステナブルというのは、日本や一部の先進国だけが考えていることで、多分、アメリカでさえそんなことを一般の国民が考えていないかと思います。

しかしながら、ビジネスとしてはとてもキャッチなフレーズかと思います。たとえ個人個人がそこまでの意識がなくても、サステナブルと謳うことは見た目の良いビジネスになりそうな気がします。この点では、アメリカでもそうだと思います。

おそらく、東南アジアにおいても、そういう先進の企業コンセプトはとりあえず受けが良いのかと思います。

ただ、だからと言って、屋台が、汚い水を道路に捨てることを止めるとは思えませんけど。


日本は本当に素晴らしい国ですが、その素晴らしさを人口減で維持できるのかどうか? 不安になります。人口が減るからといって、移民にも気軽に来て欲しくないと思いますし。民度の高い日本人で構成されている日本国に、やたらと移民が来たら、日本国の民度は落ちると思うからです。

多分、そのうちに、

増えすぎた在日外国人が日本国の言うことを聞かなくなったりするのでは?と懸念します。

なぜなら、海外にいて、こちらのルールを基準にすると、日本のルールのハードルがとても高いからです。移民が、日本に来たからといって、突然日本のルールで生活できるとは、とても考えられません。

もしルールを破る外国人が頻出してきたら、それに釣られて、今まで我慢してきた日本人のタガが外れる日が来るのでは?と、変な心配をします。

ある日突然、日本人が、ルールを守れなくなる日が来るのでは? 外国人のルール、しかもその負のグローバルスタンダードに触発されて。。。

タイに住んで、忘れてしまった大事なことに、気付かされます。

予定としては、今後もタイに住み続けますが、日本人の心を、美意識を、良識を、保ちながら生きていきたいと思っております。