2022年3月19日

ググるな! 危険!

テキトーな生活を目指している。

テキトーが良いと色々な本とかメディアで知った。テキトーになれるものなら、なりたい。自分は、適当ではないと思うところが節々にあるので、この際テキトーを目指す。ところで、自分はテキトーではないとすれば、なんなのだろうか? テキトーではない自分をどう表現すれば良いのか、テキトー(適当)の対義語を調べてみたら、それはなんと「不適当」だった。ちょっとその対義語こそ、テキトー過ぎないか?と、思ってみたりするのである。ググったサイトはこちら

https://thesaurus.weblio.jp/antonym/content/%E9%81%A9%E5%BD%93

ていうか、テキトーの対義語をググる時点で、自分はもうすでにテキトーではないことがわかってしまう。そんなの、どうだっていいじゃん! と思うべきなのである。

これもテキトーにポジティブに考えれば、好奇心旺盛というふうにしたらどうだろうか? そうか、自分は好奇心旺盛なんだ。と、思えば少し楽になる。

で、もう少ししっくりくる対義語はなんだろうと思って、別のサイトに行ってみたら、まあまあ、我が意を得たりと言いたくなるようなサイトがあった。そのサイトには、1つだけではなくて、色々なケースがケースごとに説明してあった。

https://worddrow.net/searchReverse?keyword=%E9%81%A9%E5%BD%93

意味って、一つだけではないよね。それも納得できる。なぜなら、「適当」と言っても、ポジティブな意味もあれば、ネガティブの意味もあるかと思う。例えば、適当な量と言えば、それはちょうど良い量という意味にもとれるので、別になんらネガティブな印象はないけど、「いい加減」であることと捉えれば、少しネガティブな意味になって、対義語も変わってくる。

あれ? ちょっと待てよ?

適当 = 「適切なこと」 ポジティブだよね ↔︎  「不適切」 ネガティブ

適当 = 「いい加減なこと」 ネガティブ  ↔︎  「入念」 ポジティブ

これは難しいよね。外国人はこの日本語をどうやって学ぶのだろう??

言い方とか、前後の文脈とかコンテクストで、全く逆の意味になっちゃうんだ。これは気が付かなかった。

いい加減を目指す

これも言いたいことはわかるけど、気づいちゃったけど、目指している時点ですでにいい加減じゃないんだよね。、、、。

ただ、ぶっちゃけ、元々いい加減ではあるので、目指す必要もないかなと思う。

いい加減の持って行くこと路を変えれば良いのかと思う。昔、近藤真彦、マッチの歌で、「いい加減が好きさ、、」と歌っているのがあったけど、この歌の作者は、すごいと思う。今自分が目指しているものを表現してくれているではないか!?

♪いい加減が好きさ、いい加減じゃダメさ あれ? ダメなの

自分はぐうたらである。努力すべきところを努力せずに、その癖、気にしなくて良いことを気にする。ああ、醜い人間だ。

ていうか、こんなことを言っている時点で、自分は本当にテキトーになれるのだろうか?なんか、自分で書いた文章を自分で読んでて、めんどくせーと思ってきた。

自分なりに、テキトーの持って行くところは、心配しないことこれに尽きると思う。

なんか、心配しちゃうんだよね、変なところで。

これを克服するには、やっぱり努力するしかないかなと思う。人一倍の努力をすれば、心配することもなくなるだろう。

おっと、努力とか言って、またすでにテキトーな生活から離れ始めているではないか????

テキトーって難しいな

テキトーにしよう、テキトーにしようと思えば思うほど、テキトーでなくなるこの現象はどうしたら良いのだろうか? もうこの時点でテキトーではない 笑


ググるな! 危険

コロナ禍で2年以上WFHだったりハイブリッドだったり、とにかく出かけることが少ない。少なくなった。

家にいると、悶々として鬱々としてこないか?

自宅にいると、とにかくググる。

おそらく、ゲームか何かをやらない限りは、ググっている。

そんなにググらない人ではあっても明かにコロナ前よりはググる回数が増えているに違いない。

でも、ググるのは良くない。

別にGoogleは悪くない。ググりすぎるのが良くないのである。Googleは悪くないのに、なぜググりすぎると良くないのか?

それは、Googleには、いろいろな情報が載っていて、網羅されているからだ。その網羅されているがゆえに、簡単な情報から詳細な情報まで、漏れがないように記載されているのがGoogleだ。

例えば、ストレスで胃が痛いと思ってググった時に、「太田胃酸」とか「キャベジン」でも飲んでりゃ、治りますよ。という情報と、「胃がんかもしれません。」気づかないということも多いのです。。みたいな情報まで網羅されているからだ。

心配性の人が、この情報に触れたら、どうなるだろうか?

穏やかではなくなるのだ。

これが、ググり過ぎの悪影響である。

自分がテキトーではないと思うことがある。テキトーではないからといって、入念ではない。ただ、物事を必要以上に心配したりする。悪いことだけが起こるのではないだろうか?みたいなこの性格が良くない。これは今すぐ変えたい。

例えば、どこかが痛い時とかに発動する。

  1. お腹が痛いとする。
  2. ググる
  3. 最悪なケースが必ず出てくる
  4. 心配する
  5. 心配が、色々と広がる。家族とか。
  6. 悩む
  7. 多分、このまま突き進めば鬱になるだろう。

この無限悪ループから脱却しなければならない。

こんな繰り返しをしている人は、多いはず。お腹が痛いだけではなくて、血圧が高いとか血糖値が高いとか、そういうものを調べれば調べるほど、最悪なケースばかり出てくるのだ。そして悩む。


でももしかしてこれって、製薬会社とかも一緒になった、ステマ的なものだったら? と、考えることがある。

なぜなら自分は新卒で製薬会社に勤めていたから。MRという営業職をしていたことがあって、高血圧の薬を先生に売っていた。直接売るわけではなくて、先生と話すのが専らの仕事。

で、よく先生が言っていた。

「例えばさー、今日プールで適当に30分くらいでも泳いだらさあ、この薬飲まなくてもいいよね。。」

みたいなことを。

へー、そんなもんなのか。

であれば、薬が売れなくなるじゃないか? と、思った。薬なんか飲まないでみんな泳いだり歩いたりしていれば、それで良いのか? みたいなことを素人ながらに思っていたことがある。なぜなら、自分はたまたま製薬会社に勤めたものの、全くの文系人間なので、特段医学とか薬とかにそれほど詳しかったわけでもない。もちろん、会社の研修などでは教わったし、営業するにあたっての認定試験などもあったので、それなりには勉強はしたのだけど、如何せんど文系であるので、お医者さんの発言は、新鮮だった。

で、それから25年以上経って、自分が降圧薬とか血糖値の薬とかを必要とする立場になると、なんだか、その時のその先生の言っていたことを思い出したりする。

話は戻って自分がどうやってテキトーになれば良いかと考えていた時に、ある先生の本を読んだ。

奥村康先生の、『健康常識はウソだらけ』
いやー、この本は目から鱗。悩みやすい人には超おすすめ。


・喫煙者はコロナウイルスの免疫力を持っている?

・血圧もコレステロールも高くても大丈夫!

・ダイエットも粗食もジョギングも体に悪い!

・クスリを飲むほど病気が治りにくくなる!

・タバコと肺ガンには因果関係はありません!

・ちょい太めの人の方が長生きします!


血圧が高いけど、どれだけ血圧が高くても大丈夫なのか、前々から気になっていたりしたことがあるのだけど、なるほどと思った。

もちろん、自分では気をつけなければいけないとは思っているけど、自分はこの本に本当に救われた気持ちになっている。だからと言って、調子に乗らずに、、とは思うけど。

そういえば、高血圧のガイドラインというのがあって、昔は180以上を高血圧と呼んでいたよな。それが、ファイザーとかから降圧剤が出てくると、なんか学会のガイドラインが改訂になったりしたよな。もしかして、ガイドラインが低すぎなのでは? と、素人ながらに思ってしまうことがたまにあった。何しろ、それが例えば、100年も200年も前の話だったら、流石に昔の医学ではそういうことになってたんだなあ、と思ったりするけど、たかだか30年とか40年前のガイドラインが違いすぎるので、何か、誰かが得するような仕組みを作ったのではないかという疑義の念は、前から持っていた。

何かがおかしいのは間違いないとは、素人ながらに思っている。

国民皆保険で日本国民なら誰しもが世界的レベルの高い標準医療を受けられるのに、人工透析導入数が世界的に高かったりとか。

まー、とにかく。この慢性疾患のガイドラインは、怪しいと前々から思っていた。

そんな中で、出会った奥村先生の本である。賛否あっても、この本が自分にとってとても大切な出会いであることは間違いない。


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🔸コロナ早期自宅療養プロトコル(イベルメクチン6mg60錠/ メラトニン3mg/ アスピリン75mg)

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2022年3月18日

日本人だけが全く違う理由

最近そういう人もだいぶ減ったとは思うけど、それでもなお、日本人の多くは無意識に所属している企業に自己のアイデンティティを求めている。

確かにだいぶ減ってはきた。ただ、まだまだマジョリティといえば、所属企業あっての自分ということろをどこかしら持っているのだ。

例えば、アメリカにいた時に、出会ったアメリカ人が自分のことを人に紹介するときに、「2人の子供の父親であり、夫であり、根っからのニューヨーカーで、ジャズを愛している。メッツファン。」などなどと説明する人が多かった。

しかしながら多分日本人はもし自分のことを紹介する時に、「夫である」とか、「父親である」とか言うだろうか? まあ、言わない。

その代わりに、なんと言うかといえば、「東芝の鈴木です」とか、「伊藤忠の高橋です。」とか、そう言う会社名を冠につけたりすることが多いと思う。

良いとか悪いとかではなく、事実である。自分の存在に、努めている会社というのが大きく関わっている。これが日本人なのである。

日本人がそういう人々であるということを前提にすると、海外にいる日本人がほぼほぼ遅かれ早かれ全員が日本に帰る民族であるということが納得できる。

なぜなら所属企業の駐在で海外に来ているからである。もちろん、タイはそれでも自分の意志できて、現地採用によって働いているという人も多いは多い。ただ、もうマジョリティは駐在である。駐在ということは、いずれ海外勤務は解けて、日本に帰るということになるのだ。だから、海外にいる日本人は会社単位で動く。友人関係も、会社単位。

アメリカにいた時も、タイにいる今も、出会う日本人はみんな日本ありきだ。

U-NEXT

1外国から来たその他大勢の人になれない日本人

その点、例えば、日本以外の海外から来ている人は、日本人とは全く違う。それぞれ理由があって来ているのだけど、会社が行けと言ったから来ているなんていう人にはお目にかかったことがない。

日本もアメリカから見れば、1つの海外の国である。アメリカにはもちろん、いろいろな国から来た人が集まっている。ただ、日本人以外は、みんなアメリカに永住しようと思って来ている。永住まで考えていなくても、たまたま好きで、自分の意思で好き好んで来ているのだ。

例えばアメリカに居た時に、周りの韓国人がそうだった。会社が行けと言ったから来た、なんていう韓国人は、アメリカにはほぼ居なかった。

では、みんなどうしていたかといえば、例えば、アカデミアで職を探したり。大学の先生をやっていたり。キムチ工場を経営している人もいた。ネイルサロンはすごく巨大な組織で、随所で韓国人が働いていた。

とにかく、アメリカにた時の周囲の韓国人は、自分自身の選択としてアメリカに来て、そしてアメリカで死ぬまで生きていくという覚悟がある。覚悟というか、ただ韓国に帰りたくないだけなのか、それはわからないけど、とにかく、日本人がアメリカに来ている理由と全然違うのである。

それは韓国人だけではなくて、他の国からアメリカに来ている人は、だいたい自分の意志で勝手に来て、どうにかしてアメリカで生きていきたい、、という人がほとんどだった。日本人だけは、だいたい3年か5年くらい経つと日本に帰国するのだ。ほぼ全員が。


まず日本人であること。次に会社名。自分のことはそれが全て

逆にいえば、日本にいる外国人も、自分の意志で勝手に日本に来て、好きで日本で暮らしているのだと思う。

例えば、日本に居るアメリカ人が、「会社の転勤で日本に来た」という人なんて、居ない。少なくとも僕の周りにはいなかった。

もちろん、全くゼロではなかったけど。例えば、企業のエキスパットみたいな人は、会社から送られて来て日本に居ただろうけど、ごく少数である。

実際、もう15年くらい前の話だけど、日本で某医療機器フォーチュンNo.1の日本法人社長がアメリカから赴任してきて、色々と交流したけど、しかもその奥さんが僕と同じ会社に採用されたりして、それは面白かったけど、もちろん2人はアメリカに帰って行った。少数派の1例である。そんな人も、居なくはないけど、ほとんどの人が、自分の意志で海外にいるのだ。

日本人だけが、会社の事例で海外にいる人が多いのだ。最近は日本人でも自分の意志で海外にいる人が多くなったとは言え、それでも会社がありきなのだ。

人生、会社ありきなのだ。例えば、辞令で帰国しなければならなくなったとしても、別に残りたければ、その会社を辞めて、アメリカに残れば良い。

という、理屈になるけど、それをする日本人はほぼほぼ居ない。日本人は、海外で、日本人ということを全面に出しながら生活する。1外国人という立ち位置ではなくて、もう、「日本人」ということをまず冠につけたがる。

日本人ということをまず冠につけることによって、自分自身の個性をそこまで出さなくてもよくなるとでも思っているのだろうか?

語るほどの、見せるほどの個性もないから、その代わりに「日本人」と言っておけば、とりあえずその場は凌げるみたいな考えがきっと蔓延っているのだろう。

まず、日本人。

次に、会社。

このアインデンティティが日本人のマジョリティである。

会社ありきでただ海外に来ているだけである状態の日本人ほど、結構言うことだけは立派だったりするから、面白い。

ただ単に会社の駐在で送られて来ただけなのに、まるで自ら開拓してその地に移り住んだのだ!みたいな武勇伝にトランスフォームしちゃうアホが多すぎて、笑える。

実際は、会社が斡旋した家に住んで、会社が雇ったドライバーがいて車があって、東南アジアならメイドさんもいたりして、子供の学校の費用は会社持ち。。。のような状態であるのだ。

他の国から買って来ている人、あるいは同じ日本人でも、自分で勝手に来ている人とは全然違うのである。

ただ、1つの会社で、1つの海外の国に何十人も送るみたいなのは、多分日本だけかもしれない。中小企業では、例えば1人駐在なんかもあるけど。そろそろ、そういうなんというか、海外駐在みたいなのは昭和の香りがぷんぷんする文化なのでやめた方が良いのではないだろうか。1人駐在員がいれば、あとは現地の人を採用すべきだと思う。

2022年3月17日

ソンクランにバンコクに居たくない個人的な理由

ああ、終わらない夏、タイランド。

タイは、1年中、暑いか、めっちゃ暑いか、超暑いかしかない。あとは雨季か乾季か、その程度の季節感しかないのである。1年中暑い。その中でも、特に暑い、暑いof暑い時期は、2月から4月頃にかけてである。4月にはソンクラン休みというのがあって、これはタイでは1番重要な休み。そして水掛祭りをするのだ。コロナ前はタイのソンクランフェスティバルには、もうたくさんの観光客がタイに訪れてた。結構日本の有名人もお忍びで来ていたりした。まあ、それがコロナで、この2年以上もタイは閑古鳥が泣いているのだ。観光立国タイはあの手この手で、なんとか観光客を呼び戻そうとしているのだ。そしてコロナもいよいよ落ち着いてきて、タイ政府はこの7月にパンデミックからエンデミックにするというアナウンスメントをした。つまり。コロナになっても、普通の風邪と同じように扱って良い、ということになるのだ。そうなったら、いよいよ、観光客も戻ってくるだろう。

しかしタイに来たのは5年前で、ということは、このコロナ禍を丸々タイで経験しているわけだが、全く季節感もなく、いつの事だか思い出せなくなっている。日本にいたら、季節も違うし、花は咲くし雪は降るので、大体何かの出来事と記憶が紐づいていたりするので、「ああ、一昨年の夏休みはハワイに行ったよね〜」みたいなことがすんなりと出てくるのであるが、タイに暮らしていると、去年も一昨年も3年前も、全く特徴のない日々だったりするので、それがいつの事だか正確に思い出せなかったりする。それにしても、タイは色々と頑張ったなと思うわ。もし本当に7月にエンデミックになるという事であれば、よくまあ、コロナ禍を持ち堪えたなあ、、と思う。肌感覚で、タイ在住の日本人も相当数日本に帰国している。それだけ日本人も減ったと思う。

swimming pool moonlight
タイでは、夜になってから泳いでも全く寒くない。そして、ちょっとしたアパートやコンドミニアムにはプールがついている。1年中、真夏のタイでは、1年中プールに入れる。

さてこのソンクランというのは、一番激しいのはおそらくカオサンあたりである。バックパッカーはじめ、世界の若者の旅行者が集っている場所なので、そりゃもう、大変なことになる。その大変さは、ちょっと子供とかを連れて行けないような光景である。もちろん、コロナ前の話だけど。しかも最近んは、水をかけるだけではなくて、何か塗料のようなものをかけたりするので、大変である。もちろん、お祭りなので、あまり大変だ大変だって言いたくはないけど、子供はソンクランのカオサンには連れて行けない。ただ、今年のソンクランは、去年、一昨年と同様、静かなものになるだろう。まだコロナ禍が終わったわけではないからである。エンデミックになるのは7月以降という事なので、4月のソンクランは、まだ規制中ということになる。しかしながら、もちろん、去年、一昨年よりは少しは人もいると思う。ここ最近はバンコクにもバックパッカーと思しき白人の若者がチラチラ見え始めているので、おそらく、欧米人を中心に少しは人が増えていることと思う。

カオサン通りだけではない。いわゆるトンロー、プロンポン、アソークといった、日本人がいも別の意味で大変なことになる。アパートやコンドミニアムの敷地の蛇口はもう出っ放しである。そこから長いホースを伸ばして、通行人に水をかけるのだ。ほとんどの子供たちはマシンガンのような形をした水鉄砲を持っていて、それで掛け合っている。まあ、タチ悪いのは日本人駐在妻たちである。もちろん、駐在妻が全員悪いというわけではない。それでも、僕が見た数人は、もう何かに取り憑かれたように通行人に水をかけまくっているのである。

駐在妻というのはとにかく日頃からストレスが溜まっている。人もいる。ストレスというよりも、鬱憤である。なぜ鬱憤がたまるかといえば、これはもう、駐在独特としか説明がつかない。日本人のタイでの駐在というのは、当たり前だけどまず夫の駐在についてきた、そもそも海外志向という訳ではなかったというケースがほとんどである。タイ語はもちろん、英語もできない人もたくさんいる。要するに、そこら辺のサラリーマン家庭ということだ。欧米への駐在とも違うのは、バンコクとか、もう一つ日本人の多いシラチャーであれば、日本語である程度生活できたりするという点が独特である。なまじ、英語もタイ語もとりあえずは必要がないので、もちろん覚えたりしないし、よく店でタイ人の店員さん相手に日本語で押し通そうとしているいかにも駐妻らしき人をよく見かけた。

タイに来て最初は楽しいだろうけど、もちろん、日本とは勝手が違う。だんだんだんだんキツくなってくるのです。旦那がサポートしてくれるかというと、そんなことはない。旦那は、夜は帰ってこないし、土日もゴルフで帰ってこない。よくあるタイの日本人家庭の光景である。駐在妻は、1人でポツンと家にいたりする。そして鬱憤が溜まりにたまるのだ。

鬱憤が溜まった状態でソンクランを迎えるとどういうことが起こるかというと、とにかく、気でも狂ったのか?とも聞きたくなるような行動に出る。とにかく通行人に水をかけまくる。まあ、もちろん、ソンクランだし、お祭りだし、かけられる方も、ノリ良くしていたりするけど、これが本当にドバッとかけられると結構洒落にならなかったりする。しかも、たまたまトゥクトゥクとかシーローというような外との仕切りのない乗り物が通って、渋滞で停まっていたりすると、その乗客をターゲットにして、水をかけるというか、もうバケツで頭から流すというような行動に出る。乗客は逃げ場がないので、そのままもう本当にずぶ濡れになるだけである。ソンクランとはいえ、まるで服を着たままプールにでも入ったかのうような状態にさらされるのだ。された方は、一瞬怒りが込み上げるが、同じようにソンクランだから。。。みたいな、周囲の異様な盛り上がりの雰囲気で、「ここでは怒っては行けないんだ。」みたいな、妙な圧力がかかって、されるがままの状態になったりする。

僕も実は、トゥクトゥクに乗っていた時に、道路の端からバケツを持ってきた人にやられたことがあるけど、もう、逃げ場なく、ただただ大きなバケツいっぱいの水を、そのまま頭からかけられることになったのだ。オープンエアーのシーロー。お祭りということもあり、人でごった返しているし、なかなか前には進めない。止まっていると、アパートの入り口の水場からバケツいっぱいの氷水を入れたおばちゃんがやってきた。見るからに、鬱憤を晴らしている真っ最中という体裁の駐妻である。僕の頭の上で、バザーっとバケツをひっくり返す。とにかく、シーローという狭いダイハツの軽トラック、ハイジェットの荷台に乗っている僕は、逃げ場がないのだ。

本当に心臓が止まるかと思った。大量の氷水が身体中を駆け巡る。そして周囲は、いえ〜い!!という感じで盛り上がっている。なぜかといえば、お祭りだから。お祭りなのに、真剣に怒るというのは、いかにも無粋な行為なので、こっちも、やられて怒りが込み上げているにもかかわらず、盛り上がって楽しいふりをした。ああ、辺なところで日本人的な同調圧力に屈している自分が発動する。

しかも、かけた方が笑っている。いや、笑っているのは当然だ。なぜなら、やられた僕も、笑顔で盛り上がっているのだから。周囲の人もただ盛り上がっている。そう。ここは、決して怒ったり喧嘩したりする場面ではない。お祭りなのだから、ただ、本当に嫌である。しかも悪いことに、氷水だったのだ。その、氷というけど、よくコンビニとかに売ってるロックアイスともまた違う。タイには、まだ冷蔵庫がそれほど普及していない時代の名残で、よく、街中に製氷屋さんがある。日本にもあるけど、だいぶ減っているけど、氷を作っている会社である。会社というか、街の小さな店だけど。その製氷屋さんから持ってきた氷だから、これがまた、大きくて冷たいのである。これは下手したら、本当に心臓麻痺になるだろう。

悪ふざけの何者でもない。キンキンに冷えたバケツいっぱいの氷水を、頭からかけられたのだから。それも、ジャパッとかける訳ではなく、じわじわーっと、いっぱいの水をもう本当に流すかのように頭から体にかけるのだ。正直、冗談抜きで心臓麻痺になるかと思った。ここまでくると、悪ふざけとしか言いようがない。その場で居合わせた赤の他人の大人に向かって、頭からバケツいっぱいの水をかけるなんて、普通の感覚を持ち合わせた日本人なら、まずそういうことはしないが、トチ狂った駐在はやってしまうのである。しかも1日中である。

さらにタチが悪いのが、バイタクに放水する輩である。通りを走るバイタク。バイタクというのは、タイによくあるバイクのタクシーである。タクシーと言ってもバイクだ。バイクの後ろの席に、乗せてくれる、というのがバイタク。大体20バーツくらいで、ソイ(通り)の端から端まで乗っけてくれるものである。このバイタク、つまりバイクに向かって放水する輩がいるのである。一歩間違えれば事故。しかも、バイタクのライダーは、やめてくれと言っているのだ。真面目に。それでも放水を続けるのは、経験上、大体日本人の駐妻。それもお客が後ろに乗った状態である。道もウェットだし、バイクもずぶ濡れ。もう危ないとしか言いようがない。少し考えればわかるはずなのに、それでも放水を続けるのがトチ狂った駐在妻である。もちろん駐在妻の全ての人が、そういうふうになっている訳ではない。トチ狂った人のみである。なぜトチ狂うのか? それはもう海外生活のストレスと夫への鬱憤としか言いようがない。

そういう光景をコロナ前に、3年くらい経験したので、個人的にはソンクランの時にはバンコクに居ないことにしている。バンコクでのソンクランは、なんていうか、ヒヤヒヤするだけで、個人的に少しも楽しいものではない。もちろん、独身だったり単身赴任で家族が居なくて独りでバンコクに住んでいるなら、適当に顔さんでもタニヤでもナナでも出かけて大騒ぎしても良いけど、嫁さんと子供がいる状況で、バンコクでソンクランはできない。というのが結論である。

結論として導き出されたのは、ソンクランにバンコクに居てはいけないのだということだ。観光客なら良い。普段は日本にいて、旅の恥は掛け捨て的なやけっぱちな感じで、タイを満喫しにきている人は良い。ただ、バンコクに住んでいる人にとっては、ソンクランはちょっと居心地が悪い。少なくとも、僕にとっては居心地が悪い。別にお祭りが嫌いな訳でもないし、ハメを外すのが嫌いな訳でもない。ただ、トチ狂った人々と一緒にいると、ちょっと別の方向へのベクトルが生じるので、同じ日本人としてその辺を同じ扱いにされたくないということである。

そういう理由で、最初の2年くらいバンコクでソンクランを経験したが、3年目からはバンコク外に出ることにしていた。コロナ前にはバンコクを脱出してクラビに行ったりした。クラビでのソンクランは本当に楽しくて、それはそれは良い思い出である。

クラビの通りのソンクランの様子。これは2018年頃かなと。

こんなことなら、毎年ソンクランはずっとクラビで、、と思っていたら、コロナ禍になったということである。

そのコロナも、先日の政府の発表によれば、7月にはエンデミック扱いになるらしい。4月のソンクランには間に合わないけど、8月のお盆休みには、すでにエンデミックなので、おそらく空港での隔離や規制も無くなり、普通にタイに入国できるようになるのだろう。相当数の観光客がタイに訪れるだろう。このまま、また、コロナ前とまでは行かなくても、少しは賑やかなタイが戻ってくるということを、願うばかりである。

コロナ終わっても、心配なのは戦争である。しかし、中国から始まったコロナがやっと終わるかと思ったら、ロシアの戦争か。。と、思ってしまう。

2022年3月16日

上から言ってうまく行くけど、日本人には難しい

タイ国内線のエアチケットがキャンセルに

タイ人3家族とソンクランの時期に旅行を計画している。ということでその3家族の中でもとりわけ旅行付きの友人が、企画をした。

その企画では国内の島に行くということで、しかも飛行機で行くことになった。まあ、タイ人だし、もちろんタイには詳しいだろうから、企画はその友人に任せた。個人的にはパタヤとかホアヒンでも十分ではあるのだけど、こういう機会でもないと、行かないだろうな、、という場所なので、この際、それに参加することにしたのだ。

さもなければ、タイに何年いても、リゾートといえばずっとパタヤとホアヒンの繰り返しになるだろう。まあ、それでも個人的には満足ではあるが、嫁と子供のためにも、そういう機会に参加することにしたのだ。かくして、国内線のエアチケットをオンラインで購入した。

さて数日が経過して、エアアジアからメールが。どうやら、そのフライトがキャンセルになり、同じ日の別の時間に変更になったとのこと。

キャンセルというより変更である。まあ、よくあることだし別に驚きもないし、その時間に変更になっても何の問題もない。よって、そのままにしておいた。

数日後さらにメールが届き、今度は完全にキャンセルになったのだ。フライトが勝手にキャンセルになったという一方的な通知だった。まだまだコロナの影響というか、オペレーションも完全ではないな。。。という印象である。

とはいえ、別に驚きもない。こんなの、よくあることだ。そのメールには、フライトを変更するには、こちらをクリックみたいなリンクがあるので、クリックしたら、チャット画面が登場した。色々と調べると、すでにコールセンターというものは消滅しているらしい。

2年以上にも及ぶコロナ禍において客もいないのにコールセンターだけキープできるわけないと思うので、まあ、そういうこともあるだろうな、ということで納得できる。

コロナ前なら、エアアジアなら多分日本語でもコールセンターで対応できただろうな、と思ったりする。


AIの返答がマジで埒あかない

タイ人友人家族としめしを合わせて、結局前日のフライトを取ることにした。ホテルは1日だけ別のホテルを取ることにしたのだ。

なぜなら、元々取っていたホテルというのは、実は現地の到着空港からさらに船に乗って行く島にあるらしく、その船のブッキングとかも変更しなければならず、色々と面倒だということになり、1泊だけ現地の空港近くのホテルに泊まろうということになったのだ。

我々家族としては、それはそれで面白い旅になりそうで、悪いことではないと思った。

で、コールセンターの代わりのチャットということなので、チャットでその変更を、つまり1日前のフライトへの変更を試みようとしたのだけど、まあとにかくそのチャットいうのがこれがまた上手く行かない。

なぜなら、誰か人とチャットしているのではなく、AIが返答しているからである。AIの返答が本当に拉致が開かない。

そうかと思って色々と探っていると、トラブった時に実際に担当者と話すことのできるボタンがあった。で、それを押してみると、なんと30人くらい待っているらしく、とてもじゃないけど、そんなものを待ってはいられなかった。

タイ人友人家族に確認したらやはり同じ状態ということだ。だったら、空港に行ってエアアジアのカウンターに行って、直接変更しよう、という話になった。

かくして、タイ人友人数人と一緒にスワンナプーム空港に行くことになった。実際はドンムアンだけど、別にエアアジアのカウンターならできるということで、近い方のスワンナプーム空港に行くことにしたのである。

on the way to airport

懐かしい感覚

スワンナプーム空港へは、タイ人友人が車に乗せてくれた。オンヌット周辺で待ち合わせをして、タイ人友人のエスティマに乗り込む。

それにしても、久しぶりに車で空港に行く。コロナ前は長くても3ヶ月に1度は空港を利用していたので、もう丸々2年以上ぶりの道中になる。とはいえ、飛行機に乗るわけではないので、なんとも不思議な感覚である。

しかも、いつも慣れている道は高速道路を使っての経路であるが、今回友人は、なぜか下の道をずっと使っていた。まあ、オンヌットからスワンナプーム空港って、そんなに遠くないし、しかも平日の昼間でもあるし、何しろ空港そのものに用がある人も極めて少ないので、道も混んでいないだろうという目論見である。

この下の道がとても新鮮だった。見たことのない街が次々と車窓から見えるのである。空港近くに着くと、だだっ広い敷地が広がっている場所に出た。まるで田んぼのようだけど、それも将来の拡張工事か何かにするための敷地なのだろうか?と思った。景色を眺めているうちに、やがて空港に到着した。

人員整理にも程がある

てっきり、空港ロビー内にあるエアアジアのチケットカウンターか何かに行くのかと思いきや、空港はがらんとして、そんなものは閉鎖されていた。

利用客は居ることは居るけど、もうあのコロナ前のスワンナプームの姿からは想像もできないような光景である。本当に人が少ない。

チケットカウンターが無いなら、どこに行くのだろうと思いきや、もう、ダイレクトにエアアジアのチェックインカウンターに行くのだった。

空港のチェックインカウンターに来ると、まるでこれから搭乗手続きでもするかのような感覚に包まれて、また変な気分になった。

エアアジアのチェックインカウンターには、タイ人の担当者が1人座っていた。チェックインと、チケットカウンター、トラベルデスクを全て兼ねているのである。

本当に極力人員を削減したようだ。本来は1人でやる仕事では無い。タイ人友人は、その担当者に、まず話しかけた。担当者はなんとなく気の弱そうな、人の良さそうな35歳くらいの男性だった。

「ノン! ノン!」の効果

こういう場面では、タイ人は本当に強気である。もちろん、エアアジアの一方的なキャンセルではあるが、それにしても、すごい強気の態度に出るのである。

ちょっと日本人にはそれも難しい。もしこの場面で日本人なら、「あのー、フライトがキャンセルになっちゃったみたいなんで、フライト時間の変更をお願いしたいんですけどぉ。。」的なアプローチをするだろう。

そうすると、結構タイ人担当者って、たまに舐めてかかってくる人がいて、すごく遅かったり、イヤイヤ感を前面に押し出してきたりするのである。ところが、タイ人友人は本当に上からバシッと言う。

「ノン、ノン。。」と言いながら、この「ノン」と言うのは年下に対する言い方であるけど、上からいう時に使う。
実は結構これは闇かもだけど、タイにはもちろん、カースト制のような身分制度は無いものの、見えない階級というのがあって、その見えない階級の上下みたいなので、世の中が回っていたりする。

タイ人友人は明らかに、上から物を言うのだが、たとえそれが日本人としてはちょっとできないアプローチだとしても、それで担当者も素早く対応してくれたりするのだ。
日本人が見たら、なんか、凄んでいる風にしか見えず、ちょっと堅気で無い人?みたいに思ってしまったりするのだが、その上からのやり方がうまいと、物事が上手く運んだりするのである。

友人は、しきりにその弱気な担当者に上から言っていた。前日のフライトに変更して、到着地で1泊することにしたから、その宿泊費もエアアジアが払えとか、割引しろとか、わざわざここまで来たんだぞ!みたいな感じでずっと言っていた。

とにかく、なんらかのサービスを引き出そうとしていたのだが、如何せん、その担当者もそこまで独断で何かできる立場でも無いらしく、特段、優遇もされなかった。

が、一応変更はできた。もし日本人だけで、日本人が良い人ぶって話しかけていたら、しっかりと話がまとまらなかった可能性もあるので、タイでのこの上からのアプローチを身につけたいとは思うけど、、やっぱりタイ人にしか出来ないと思う。結局、前日のフライトを取った。


2022年3月14日

レバ刺し屋台に独りで行った話

行きたいけど、誰も一緒に行く人がいない、そして5年の月日が。しかもコロナ。

ラープラップラップ(ร้านลาบ ลับ ลับ ปรีดี 43)

そういえばこの店は、5年前はGoogleマップにも日本語で表記されたり、日本語フリーペーパーにもしきりに出てきたりしていた。

行きたい、行きたいと思いながらも、少し遠いし、一緒に行く人も居ない(飲みに行く仲間は居るけど、この店に行きたいという人が周りにいない)のだった。

Can you imagine if the bar which I have been wanted to go for 5 years?

とはいえ、それほどまでにどうしても行きたいのなら、多分、勝手に行っている筈だ。従って、行きたいは行きたいけど、そこまででも無いような、そんな微妙な店だったのだ。

ヨットさんの店
この雰囲気の中で独りで飲みに行った。笑


レバ刺

日本で食べられなくなって久しい。もちろん、あのような事件があったのだから、それは納得できる。しかしながら、以前は、レバ刺しやユッケ、牛刺しをたくさん食べていた。だからと言って、日本でも食べられるようにした方が良いと言いたいわけでは無い。

それに引き換え、東南アジアでは、僕はよく生肉を食べている。もちろん、東南アジアにある韓国焼肉店や、日本料理店での話。コロナ前はよくセブ島に行ったのだけど、セブ島は韓国人がすごくビジネスをしていて、焼肉屋も多い。いつも行くセブ島の焼肉屋では、いつもユッケを食べていた。もちろん、日本では禁止になった後の話。日本人は、東南アジアの韓国焼肉店や、日本料理屋に来ると、決まって「日本じゃ食えないもんな。ガハハ。」みたいな事を言いながら食べている光景は、東南アジアの日本人旅行者の風物詩である。

ここまでくると、もはや自己責任以外の何者でもない。

こんなブログ記事を書いておきながら、申し訳ないのだけど、まあ、読者も著しく少ないこのブログとは言え、もしこれを見て行こうと思った貴兄に置かれては、くれぐれも自己責任でお願いされたし。

レバ刺し
この切り口のはっきりとしたレバ刺しは新鮮さの証拠。見ただけで新鮮さが伝わってくる。これをごま油と塩と、スライスした生ニンニク、さらに紫玉ねぎを薬味に載せて食すわけである。もちろん、ビールはチャン。


この店は縦に長い倉庫のようになっていて、その中ががらん堂である。

両側に屋台のような店が軒を連ね、どうやらその店のエリアに置いてある椅子とテーブルが、その店の持分というか、その店の陣地のようである。

つまり、「この店」と言うよりは、屋台村のような集合している店のことを言う。そしてヨットさんの店はその一角ということになる。

ヨットさんの店は、入り口から見て、奥の左である。

見ると、ヨットさんの店だけが繁盛しているように見える。他の店は普通にタイ料理の店なのだけど、閑古鳥に見えたが、意外とグラブフードが来ていたので、デリバリーで結構儲かっているのかもしれない。確かに、生肉はちょっとデリバリーには向いていないので、店に来ることになるのだろうか。

目的の店はヨットさんの店と言い、まさにヨットさんがオーナーである。ヨットさんはかつていくつか日本料理店で修行したらしく、この店を開いているとのこと。

店そのものはイーサン料理の店なので、何か特別に生肉や刺身の専門店というわけではない。おそらく、コロナ前のそれこそほぼほぼ日本人客で埋まっていた頃は、ほぼほぼ生肉、刺身がメインで出していたのだろう。

ところがコロナ禍に突入すると、これはどの店でも言えることなのだが、日本料理の店が完全にタイ人客が多分だけど80%を超えていると思う。例えば、チェーン店の日本食屋はぶっちゃけ99%タイ人客である。

ということで、ヨットさんの店も、日本人が激減しているに違いない。現に、先日行った時は日本人は僕独りであった。僕の周りのタイ人はみんなグループで来ていて、独りで来ているのは僕だけだった。で、タイ人はみんなタイスキとか、イサーン料理をすごく食べているので、ヨットさんの店としては、売上は減っているものの、生き延びているのかと思う。

日本人が激減しているということは、刺身関係のメニューがあまり出ないだろうから、新鮮さは大丈夫だろうか? いつかメニュー廃止になるのではないだろうか? というような些かの不安もあったのだが、見ていると、タイ人の中にも刺身を食べている客も多く、むしろ日本好きのタイ人が店に来て、タイ人も刺身を食べているという状況が生まれているので、おそらくメニュー廃止にならなくて済むかと思う。勝手な素人考えだけど。

ヨットさんもおそらく、それほど日本人を対象にしなくなったのかもしれない。前述のように、日本語フリーペーパーに大きく出てきたりしていないからである。とは言え、日本料理店で修行したヨットさんだから、また日本人客に来てほしいと思っているに違いないと勝手に思っている。

なぜなら、タイ人客でごった返す店内で、見るからに日本人のおっさんという風情の僕が独りで入ると、ヨットさんが僕のことをチラ見した。きっと、「ああ、日本人来た」と、思ってくれたのかと思う。そして独りで食って飲んで帰る時にも、僕のことを目で追って会釈してくれたのである。なので僕もヨットさんに手を振って帰った。

葛根湯エキス顆粒5g10袋(かぜ・インフルエンザ)
シンガポール、台湾に行ったことあるなら、この葛根湯です。


タコの刺身

さて注文したのは、このほかにタコの刺身とユッケ。実は盛り合わせを注文したかったのだけど、何せ独りなので、そんなに食えないだろうなあということもあった。

タコの刺身 octopus sashimi
タコの刺身も新鮮で旨い。そしてワサビは日本人に馴染みの深いワサビ、さらにライムではなく黄色いレモンを使っているところに、日本人を意識している感じがする。細かいけど。

タコもうまい。細かいこと言うけど、このワサビだけど、よく日本人が使う粉ワサビを使っている。と言うのは、よく日本系スーパーマーケットで買う刺身とかについているワサビ、というか、タイに流通しているワサビは、やたらと辛いのである。このワサビは、日本人に馴染みの深い、粉ワサビだ。魚屋さんで貰う粉ワサビである。さすが、日本人のことをよくわかっているヨットさんだと思う。ちなみに、タコに関しては、タイ料理でよく使うシーフード用のソースも別についてくるので、好みの方につけて食べることができる。僕は当然、醤油とワサビである。

細かいことを言うついでに、もう一つ言うと、付け合わせが、マナオ(ライム)ではなく、黄色のレモンを使っていることである。実はタイではレモンは貴重な食べ物で、なかなか手に入らないのである。なかなか手に入らないとは言い過ぎで、もちろん、売っているところには売っている。ただ、普通に売っているのはライムで、レモンは売っているところに行かなければ売っていない。そしてもちろん、ライムよりは高い。これもさすがヨットさん。日本人のことをよくわかっていると思う。僕は別にライムでも気にしないけど、日本人にとっては、レモンの方が馴染みが深いのは事実であるから。そういう細かことに拘っているのかと思うのである。


もう一つ忘れてはならないのが、ユッケだ。

ユッケ
ユッケも本当に美味しかった。


そもそも、良い牛肉がなかなか流通しにくいバンコク、タイランドである。きっと仕入れには相当苦労しているのではないだろうかと思う。何しろ、本当に良い牛肉が無いのだ。スーパーマーケットなどではなかなか見当たらない。もちろん、牛肉はあるのだけど、真空パックに入った輸入品で、もう色が黒ずんでいたりするものが売っていたりする。余談だけどそう考えると、普通の消費者が買える牛肉は、フジスーパーに売っているサーロインステーキ用の牛肉が一番旨い気がする。きっと保存状態が良いのだろう。

それはさておき、このユッケだけど、もう本当に幸せ、絶品である。味付け自体も美味しいし、肉そのものも、バンコクでこう言う肉を仕入れるのはとても難しいだろうと思う。おそらく、特別なルートを持っているのだろう。


ああ、もうそうこうしているうちに、ビアちゃんのサイズヤイ(大瓶)が2本空いた。まあ、独りだし、なんか長居するのもなんなので、この辺でお開きにして、家の近くのバーに行こうと思う。

ああ、ヨットさん、ありがとう。

この店の地図。プラカノンからは結構ある。プラカノン駅からプラカノン通り(スクンビットソイ71)にまず歩いて、プラカノン通りに入る。トボトボ3分くらい歩くと、バイタクの乗り場があるので、独りならそこでバイクに乗る。僕が行った時はバイタクがたまたま1人しかいなくて、もしそのバイタクが居なければ、多分、乗り場と気づかずにスルーしていたかと思う。

おっと、ここで、大事なことがある。

この店は、18時から!!

なので、昼はやってない。

つまり、この店に行こうと思ったら、日が暮れているのである。昼間なら、ソンテウとか赤バスとか色々と手段はあったりする。もちろん、夜でもあるのだけど、日本人的にはなんとなくハードルが高いと言う人もいるかと思う。

もう、ぶっちゃけ、タクシーを拾えば良いと思う。1本道ではあるので、タクシーも楽である。バイクも、タクシーも、「ソイ43」(ソイ シーシップ サーン)といえば通じるので、問題無いと思う。ここでのソイ43だけど、これはプラカノン通りに既に入っているという前提なので、タクシーもプラカノン通りをある程度歩いたところで拾った方が良い。

もし、スクンビット通り沿いでタクシー拾ったなら、「ソイプラカノン、レオコー、ソイシーシップサーン」と、プラカノン通りの、ソイ43と、間違えないように伝える必要がある。スクンビット43だと勘違いされると、プロンポン、アソークの方まで行ってしまうことになってしまう。

またまた、ついでに言うと、日本人の発音は、タイ人にとって、シーシップサーンが結構曖昧に聞こえたりする。5年バンコクに住んでいる僕でさえも、シーシップとタイ人に言うと、「え? イーシップ(20)??」と、聞き返されたりするので、僕はもう、指を見せて伝えることにしている。

シーシップで4本ゆびを見せて、サーンで3本指を見せるみたいな。。。。そこを確実にやらなければならない。

と言うことで、5年間行きたくて初めて行った店にも関わらず、次に行くのはおそらくめっちゃ近々になる予感がするのである。

ラープラップラップ(ร้านลาบ ลับ ลับ ปรีดี 43)